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聖徳太子の仏教への大志  ~葬儀社社員日記~

当時日本は発展途上の国でしたが、大国である随に送った国書があの有名な
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
(日が昇る国の王が、日が沈む国の王に書を送ります)
ですね…。これだけ見るとかなり衝撃的なことを書いていますが
なんとこの国書によって、日本は大国である随と対等外交をすることが可能になったのです。
そして鑑真とのエピソードもあります。
鑑真といえば中国で偉大な僧侶でしたが、日本に来て仏教の布教に努めました。
中国でかなりのキャリアを積んでいて地位をあった大僧侶の鑑真が、
なぜわざわざ日本行きを決意したのでしょうか?
それは実は聖徳太子が関係しています。
ある天台宗の祖師、慧思(えし)という人物が、
東方の国で生まれ変わっているという伝説が当時の中国で広まっていたのですが
その特徴が聖徳太子とぴったり合致し、鑑真はそれに感動して日本行きを決意したそうです。
これだけすごい聖徳太子ですが、なんと名古屋にもゆかりがあるんですね…!

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蜷川 顕太郎

蜷川 顕太郎

最後の刻も故人様らしく迎えられるように全身全霊を尽くします。

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