名古屋の葬儀担当者の触れた物語 1

ご無沙汰をしております、西田葬儀社の浅井です。

忙しくも、元気に働いていました。またチラホラ何かしたためていこうかなと思っています。
↑「忙しい」という字は葬儀屋さんは割と避けます。
「心」を「亡」くすので、「多用」とか、と言い換えたりしますね。本編には一切関係ないです_(:3 」∠)_

触れた物語、再開ということで葬儀屋さんらしく、
担当させていただいたご葬儀の話等をお話していこうかなと思います。
先日、新人共育等の折だったかな、一番印象に残っているお葬式は?と聞かれた時に出たお葬式の話。
プライベートポリシーやななんやらがあるので色々伏せますが、以前にブログでお話したこともあります。

最初は奥さんの相談でした。まだおばあちゃんと呼ぶには全然若い方のお葬式。
二人の息子さんがいるお父さん。本当に、今思い返しても「おっちゃん」という陽気な方でした。
ほどなくして、相談は依頼になります。
立派な息子さん二人(ものすごい厳ついんですが、本当に優しくてお父さんのように陽気なご兄弟)に
支えられて、お父さんは無事葬儀を終えました。
当然にお葬式なんてものは慣れるものではなく、葬儀後もわからないことがいっぱい。
何かと頼っていただきました。お仏壇、香典返し、お墓はもとより、
時間が過ぎて忌明けや一周忌と長い付き合いのご縁をいただきました。
おっちゃんは家に私を呼ぶと、帰りには必ず「今日のな」と、キンキンに冷えた缶コーヒーをくれたもんです。

ある日三回忌の相談かなにかの後、たわいない会話の流れでおっちゃんは言います。
「俺な、ガンなんだわ」
あんまり同じ口調なので、冗談かと思いましたし現に目の前で元気にしている。
「そうなんですか」というだけで言葉が見当たらなかったのを覚えています。
「かあちゃんの時みたいに浅井さん、俺の事も頼むわ」と笑っていました。

またある日、おっちゃんが会館に相談に来ます。残される息子達へ自分のお葬式。
また、気の利いたことも言えるわけもなく、相槌を打ちました。
それから数日後、厳つい二人組が会館に現れます。お父さんのお葬式の話。
また、そうですかぁ、と答えにならないような相槌を打ち、話を聞きます。

そう教えられて納得しているからなのですが、私は、
私ごときの、お葬式以外のアドバイスが何の意味も持たないことを知っているので、相談は聞くことに終始します。

数日が経ち、連絡が入ります。奇しくも当番の時の入電。
病院にいくと、厳つい二人は一しきり泣いた後だったのか目の周りが赤いなと思いました。
ベッドのおっちゃんに「約束通り迎えに来たよ」と言うと
堪えきれなくなりました。こういうのはいまだにあまり経験がない事です。

お母さんの時のお父さんのように、立派に、今度は二人で送られました。

ご兄弟は未だに連絡をくれますし、帰りにはまた、コーヒーをくれます。やっぱり親子なんですな。

というのが、印象に残っているお葬式。
ふがいない私でも、頼ってもらえるのは冥利に尽きます。

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