名古屋の葬儀担当者の触れた何某14

西田葬儀社の浅井です。

世界にとって自分がどれくらい必要か。考えた事はありませんか?
私は、しばしば考えてしまうことがあります。思い詰めてしまった時ほど。
そして、その考えはこんな形に帰結してしまったりします。思い詰めてしまっているので。
・私がいなくても、明日の世界は変わらず動いていくんだろう

私がいなくても、日本には梅雨がきて、私がいなくなっても変わらず道行く人は笑顔をこぼすんだろう。
私が消えても、消費税はあがるだろうし、私がいない2100年は、いる2100年とどこが違うのだろう。

現実は、無情という言い方をしましょう。何兆分の一の存在が消えても世界とか地球はびくともしないでしょう。
バタフライエフェクトや、カオス理論なんていいますが、大きな規模でみたら結果に大差はないかもしれません。

しかし、そんな時人は、私は大きな見落としをしてしまっていると思います。
世界には必要でなくとも、地球が変わらず回るのだとしても。
いつも傍に居て、必要だと思っていてくれるかもしれない人がいるだけで、そんな人がいる事こそが十分なのではないでしょうか。
そんな人はいないよと、ひねくれたとしても、その先の未来で出会わないと何故決まっているのでしょう。

「俺は、俺の世界の中心は全て自分で支えていると思っていた。
 だから一度の挫折で投げ出してしまったんだ。でも、その生まれて間もない子が笑ったのを見てきづいたんだ。
 俺が世界をしょい込む必要なんてない。俺は、俺の目の前の世界だけを守ればいいんだ。
 だから次は、今度こそはこの子の瞳に映る世界だけは 投げ出さずに守ろうときめたんだ」

この仕事で「自死」という言葉を身近で感じます。
今回は励ましているなんて傲慢なつもりはありません。ただ、私と少しでも同じ気持ちを感じた人がいたなら伝えたいなと思いました。
「南国少年パプワ君」、という漫画を描いている柴田亜美先生の漫画で「自由人ヒーロー」にでてくる、あるお父さんの言葉です。

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