西田葬儀社の浅井です。
尺度、皆さんはお持ちでしょうか?
価値観、と言ってもいいでしょう。基準と言ってもいいでしょう。
そして、その度合いによって人は評価し、自分は評価されるのでしょう。
企業では営業成績を問い問われ、学校では試験の点数をつける教師とつけられる生徒
管理社会とも、競争社会とも聞きます。
他人の目なんて気にしない!自分の道を行くんだ!というセリフはこういう
ときに使ってはいけません。
集団生活を営み、企業に属し、要求し、要求される以上、周りの評価は得なければ
いけません。人には事情がありますから、必ずしも、と強制はしないのですが。
では、どんな時にあてはまるかを考えました。
きっと、それは自分にとっての大事なもの。長い目でみて、よく考えたもの
ではないかなと思います。
最低な人生だ、と人は絶望したときに漏らします。
しかし、その最低の尺度は、基準は、ものさしはどこからきたのでしょうか。
きっと、周りの影響や習慣や、今までの経験、そして他人の中の自分からではないでしょうか?
尺度や基準、価値観なんていうものは人それぞれで、最低だと評価したのもはたして
自分なんでしょうか。
例えば、馬鹿にする他人も、落胆する自分さえも周りの影響でできたものならば、
他人に、自分の人生を評価させてはいけないと思いませんか?
「自分の人生は自分のものだから、ものさしの違う他人には絶対量れねぇ。
自分だけで一人で量って自分だけで正直に判断するんだ。
嘘はなしだぜ。
よかったか。
ぶっちゃけ悪かったか。心で答えろ」
自分だけで一人で量って自分だけで正直に判断するんだ。
嘘はなしだぜ。
よかったか。
ぶっちゃけ悪かったか。心で答えろ」
藤田和日郎さんという漫画家さんが好きです。
「うしおととら」とか有名なんですが、、
その人の漫画、「月光条例」より
最低な人生だと嘆く少年に、偉そうにいうならこんな言葉だろうなと感激したのを
覚えています。