お葬式の変わった風習シリーズその2

お葬式も、ところ変わればしきたりもさまざま。お葬式の風習は、時代や地域によって、その時その場所のさまざまな社会的要因が反映されています。「お葬式の変わった風習シリーズその2」として、さらにさまざまな地域風習をご紹介いたします。日本各地で見られる風習、雪国だからこそのしきたり、そして大都市東京だからこその独特の葬儀事情など、日本各地のお葬式の風習をお届けいたします。

「紅白のお見舞い」生前のお見舞いを葬儀時に

埼玉県内の一部の地域では、葬儀の時に、紅白の袋に入れて「お見舞い」を喪主に渡します。「葬儀なのに紅白?」と驚かれる方も少なくないと思いますが、これは生前に入院中の本人のお見舞いに行けなかった場合、そのお見舞いを葬儀時に渡す風習として行われています。入院のお見舞いは、通常紅白の祝儀袋に入れるため、たとえ葬儀であってもお見舞いには紅白の袋を用いるのです。なお、お見舞いとは別に、葬儀の香典も用意し、こちらは通常通り黒白や双銀の不祝儀袋に包みます。

「樒」大型の樒が門前に立つ

葬儀の時には、関係者から供花が送られます。また、花祭壇やもろもろの装飾花など、式場のいたるところにお花を飾り、故人の葬儀を彩ります。その他にも、会場の入口に大きな樒を1対飾ることがあります。その高さは約3メートルにも及び、これを「門樒」「大樒」と呼びます。その他にも葬儀会場の外に、花輪を並べるように、樒に施主の名前を付けて並べる風習も見られました。
樒には、毒性と独特の香りがあり、悪霊から守り、場を清める植物として、仏事や葬儀の際に使用されてきました。真言宗や天台宗などの密教儀式の中で用いられたり、お寺の本堂や埋葬直後の墓地などに供えられたりしました。最近は家族葬などの小規模のお葬式が増えているため、門樒や、樒を外に並べる風習は見られなくなりましたが、いまでも枕飾りに樒を供えたり、紙や板に名前を書いて供える「紙樒」「板樒」などがあります。

「お淋し見舞い」

愛知県や岐阜県や三重県には「お淋し見舞い」の風習があります。お通夜の時に、香典やお供え物とは別に、お菓子や果物を箱に詰めたものを遺族に手渡します。故人へのお供え物ではなく、故人に寄り添う遺族を見舞うための贈答文化です。「お淋し見舞い」ののしが掛けられることから、「故人を亡くした淋しさを少しでも和らげられますように」という想いが込められています。かつての通夜は、長い時間かけて遺族が故人に寄り添って過ごしたことから、お淋し見舞いは通夜に贈られます。なお、岐阜県などでは「夜伽見舞い」とも呼びます。夜伽とは夜通しそばに付き添うことから、やはり同じ意味合いによる見舞いの品だということが分かります。

「涙汁」辛いお汁を飲んで涙を流す

「涙汁」も、東海三県などで見られるしきたりです。葬儀の日の朝、故人との最後の食事である「旅立ちの膳」の中に、精進料理と共にこしょうのたくさんかかった「涙汁」が並びます。これには、故人の旅立ちを悼む、辛い物を摂取して通夜や葬儀の疲れをとるなどの意味があるそうです。

「バス型霊柩車」マイクロバスに柩を乗せてみんなで火葬場に向かう

北海道などの雪国では、マイクロバスをベースとした「バス型霊柩車」を利用します。通常であれば、柩を乗せる霊柩車のあとを、遺族や親族が乗車する自家用車やマイクロバスが後に続きます。しかし、雪国や寒冷地では、火葬場が遠くにあったり、雪の中の走行が困難であったりと、複数の車が連なるよりも、一台で移動できた方が安全です。そのため、マイクロバスを改造して、棺を載せられるようにしたのです。

1300万人が暮らす首都・東京の特殊な葬儀事情

最後は、首都東京の特殊な葬儀事情をご紹介いたします。約1300万人が暮らす東京だからこそ、他の地域にはない特殊な葬儀事情があるのです。

全国でも珍しい民間火葬場
東京23区と一部の市部では、火葬場が民間企業によって運営されています。これは全国でも大変珍しいケースです。平成30年11月に日本環境斎苑協会が調べたところによると、日本全国の火葬場の数は1454ヶ所、そのうち民間企業が経営する火葬場はわずか15か所です。東京23区民が利用する民営火葬場は9カ所あるので、そのほとんどが東京に集中してることが分かります。民営火葬場の火葬料金は、公営火葬場に比べて大変高額で、これが東京の葬儀費用を押し上げている要因になっています。
都内6か所の火葬場を運営する東京博善グループの場合、2023年3月現在の一般的な火葬料金(最上等・大人)は、7万5千円です。ちなみに、名古屋市民が利用する火葬場(八事斎場、第二斎場)の場合、市民(大人)の火葬料金は5千円で、いかに民営火葬場の火葬料金が高いかが分かるかと思います。

火葬場の混雑がとても激しい
東京都内の火葬場は慢性的な混雑に悩まされています。ご逝去から葬儀まで1週間、中には10日以上も待たされてしまうことも珍しくありません。その間、遺体はドライアイスの手当てをした上で冷蔵保管するか、あるいはエンバーミングの処置をして、変色や腐敗などをしないよう対策を講じます。

骨壺サイズは特大7寸が基本
東京の骨壺は7寸または6寸が基本で、火葬にしたお骨をすべて骨壺の中に納めます。いわゆる「全部拾骨」です。

7寸は(直径220×高さ250mm)、6寸は(直径190×高さ210mm)と、全国的に見てもかなり大きめのサイズです。

ちなみに名古屋の標準的な骨壺サイズは4寸(直径120㎜×高さ140㎜)です。そして名古屋はお骨の一部を拾う「部分拾骨」が主流で、残った遺骨は火葬場が引き取ります。

拾骨に関する東西の違いには諸説あります。
ひとつは、遺骨の扱いの歴史的な違いが現代にまで影響を及ぼしているというもの。かつて日本の葬儀は土葬が一般的でした。埋葬地まで野辺送りと呼ばれる行列を組んでから土葬をしたのです。火葬が普及しだしたころ、特に大阪などではこの埋葬地の隣に火葬場を建てたところが多かったことから、遺骨の一部を遺族が持ち帰り、余った遺骨をその場に埋めることに抵抗がなかったそうです。しかし、火葬場と墓地の分離を進める明治政府の方針を守った東京では、お骨をその場に埋めることができず、すべてを遺族が持ち帰るようになったと言われています。また、全部拾骨と部分拾骨の差は東西文化を分かつフォッサマグナによって違いが生じるのだそうです。すなわち、新潟県の糸魚川と静岡県清水市を線でつないだ東側が全部拾骨、西側が部分拾骨だと言われています。

葬儀の中で初七日法要
東京では、初七日法要を葬儀・告別式の読経の中に組み込むことが一般化しています。本来、初七日法要とは死後七日目に執り行う法要です。これを葬儀当日の火葬後に行う光景は日本中のいたるところで見られますが、東京ではさらにこれを早めて、葬儀告別式の中で一緒にやってしまうのです。
東京は葬儀件数がとても多く、火葬場も混雑し、葬儀式場も連日のように予約で埋まります。葬儀の遅延は許されず、少しでも早く行程を終えなければならないという事情があります。そのため、葬儀・告別式の中で、初七日法要の供養も執り行うのです。僧侶も初七日のお経を読み、遺族親族は葬儀の焼香と初七日法要の焼香を、二度行います。

まとめ

いかがでしたでしょうか。日本各地の葬儀の光景を見てみると、自分たちの地域では見られないさまざまな風習やしきたりがあり、その地域の風土や社会環境に影響されていることがお分かりいただけたかと思います。

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