「葬列」「野辺送り」について分かりやすく解説。現代に残る名残もご紹介します
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葬列とは、遺族や親族、地域の人たちで行列を作って墓地や火葬場まで遺体を運ぶことで、かつての日本では当たり前のように行われていたしきたりです。最近では見られなくなった葬列ですが、現代の葬儀の中でもわずかにその名残を見ることができます。この記事では、日本の民俗風習として長らく行われてきた葬列について解説いたします。
もくじ
葬列とは
まずは、かつての葬儀で葬列がどのように行われていたのかを見ていきましょう。
葬列とは、遺体を墓地まで運ぶこと
葬列とは、柩に入った故人を墓地まで運ぶこと、あるいはその際に作る行列のことです。「野送り」や「野辺送り」とも呼ばれます。
いまでこそ葬儀会館でお葬式をし、霊柩車で火葬場まで出棺するのが当たり前です。しかし、葬儀会館も霊柩車も火葬場もない時代は、自宅で葬儀をし、村のはずれの墓地まで人の手で柩を運び、そして土葬や火葬をしていたのです。
葬列が最も大事な行事だった
葬列の行われていた頃のお葬式では、葬列こそが最も重要な儀式だったと言っても過言ではありません。お葬式の中にも、さまざまな儀式があります。末期の水、納棺、通夜や葬儀の読経など、どれも意味のある大切な儀式です。いまのお葬式では、通夜式に関係者が弔問し、葬儀・告別式が故人を送り出す最大のセレモニーと位置づけられています。しかし、かつてのお葬式では、遺族も、親族も、村の人たちも全員が参加して、大名行列のように故人を墓地まで運ぶ葬列こそが、葬儀のメインイベントだったのです。
葬儀や葬列の準備は村人たちの助け合いで行われた
葬列こそが葬儀のメインイベントだったからこそ、村をあげて、葬儀や葬列の準備に取り組みます。不幸が生じた家は、死の穢れが村の中に及ばないよう、ただちに喪に服し、家の中に籠って故人の供養に努めなければなりません。そうすると、誰が葬儀の準備をするのかというと、親族や同じ地域に住む村人たちです。かつての日本では、こうした地域内での相互扶助として葬儀が進められていたのです。
ある人は柩を作り、ある人は葬列に必要な道具をこしらえ、ある人は炊き出しの料理を準備し、ある人は土葬のための穴掘りに汗をかきました。このようにして、村の中で役割分担をしながら、葬儀を作っていったのです。
墓地では、火葬または埋葬をする
現代の日本の火葬率は99.99%だと言われています。しかしわずか100年前までは、土葬の方が多く、火葬率が上昇していったのは戦後になってからです。これは、日本社会が儒教の影響を強く受けていたからです。インド発祥の仏教では火葬は問題ありませんが、先祖祭祀を大事にする儒教の考えでは火葬はご法度で、土葬が基本です。浄土真宗が盛んな地域では、その教えから土葬ではなく火葬をしていたところもあるようですが、それ以外の多くの地域では土葬が行われていました。
どうして行列を組む必要があったのか
遺体を埋葬するのになぜわざわざ行列を作る必要があったのでしょうか。これには2つの理由が考えられます。
▶空間的理由:あえて墓地を遠ざけた
日本の村社会では、あえて村はずれに遺体を埋葬します。これは死を穢れと捉えており、日々の暮らしの中に穢れが及ばないよう、亡き人を葬る場所を生活空間から遠ざけるためです。自宅から村はずれの墓地までには当然距離がありますから、その距離だけ遺体を運ばなければならなかったのです。
▶社会的理由:あえて村人全員が参加した
故人の死は、家族だけの問題ではなく、村全体の喪失だからです。村の中からひとり成員が亡くなると、それだけ村の中の働き手が減ることを意味します。だからこそ、家族以外の村人も当事者意識をもって、故人の死を悲しみ、葬列に参加して、村全体で故人を送り出したのです。
葬列の持ち物や順番
葬儀は、地域性が色濃く反映される行事で、葬列も例外ではありません。ここでは『民俗小辞典 死と葬送』(吉川弘文館)の「野辺送り」の項目を参考に、葬列の持ち物や順番を解説いたします。
兵庫県川西市国東の場合、次のような順番で葬列を組んだそうです。
1.ハタ4本、近隣の人が持つ(高く掲げるのぼり旗のこと)
2.タテバナ2つ、誰が持ってもよい(花のことと思われる)
3.モリモン団子、親類のあまり濃くない男(団子を盛って供えたもの)
4.ラクガン、モリモンより少し濃い男または女(落雁。砂糖菓子)
5.シカ、親類の濃い人(四華。釈迦入滅の際の沙羅双樹を模す)
6.ツルカメ、親類の濃い人(鶴と亀の燭台と思われる)
7.コウロウ、親類の濃い人(香炉と思われる。香を焚く)
8.レイゼン、喪主の妻(霊膳。故人へのお供えの御膳)
9.チョウチン、孫(提灯に火を灯し、道を照らす)
10.導師(僧侶)
11.コシ、甥が担ぐ(柩を納めるための御輿。故人が納まる)
12.イハイ、喪主が持つ(位牌。最も関係の近い喪主が持つ)
13.チョウチン、母屋の血の濃い人が持つ(提灯)
14.テンガイ、母屋の血の濃い人が持つ(僧侶や故人の頭上を覆うもの)
15.ツエ、孫が持つ(四十九日の旅路で手に持つ杖。ともに埋葬する)
16.ハナカゴ、娘婿が持つ(花の盛られた籠)
柩にくくって引っ張る綱を「善の綱」(「縁の綱」と呼ぶところもある)は、観音講(観音菩薩を信仰する地域の集まり)が引っ張るとしていたようです。これはあくまでも葬列の一例です。細かい差異はあるものの、多くの日本の農村ではこうした葬列が行われていたのです。
現代の葬儀に見られる葬列の名残
葬列の名残は現代の葬儀の中でも見られます。
白木祭壇
葬儀祭壇には、花祭壇と白木祭壇がありますが、白木祭壇はまさに葬列で用いる葬具を祭壇の中に凝縮して表現したものです。祭壇の中央部分にある輿(こし)は、まさに柩を納めるコシに由来します。その他、六道を照らす「六灯」、沙羅双樹を模した四華も、白木祭壇の中で飾られます。
出棺の際の持ち物
現代の葬儀では、式場から霊柩車までのわずかな距離で葬列を行います。導師が先導して柩を霊柩車まで運びます。喪主が位牌を持ち、血の濃い人が遺影を持ちます。その他にも、祭壇に祀られた枕飯や枕団子、お供えの霊膳、四華なども、血の濃い人が持って、柩に連なります。
僧侶の儀式
導師を務める僧侶の儀式の中にも、古くからの葬儀の儀式が踏襲されています。たとえば、多くの宗派で行われる「引導作法」では、松明で故人に火をつける真似事が行われますが、これは葬儀当日に火葬や埋葬を行われていたことの名残です。
また、自宅での出棺前に読まれていたお経や、墓地に埋葬する前に読まれていたお経を、葬儀の中に組み込む宗派もあります。
火葬場への往復の道を変える
式場と火葬場を往復する時に、行きと帰りの道を変えますが、これも古くからの葬列の名残です。身内の不幸は、周りの人を引き込む恐れがあると考えられていたことから、葬列で歩いた道と、墓地から自宅に帰る道をあえて別にしたのです。それ以外にも、故人に近い人が履物を墓地に置いて帰る、帰る時は後ろを振り向かないなどの風習もあったようです。
清め塩
式場や自宅に戻った時には清めの塩を振りかけますが、これも葬列を終えて自宅に帰る「野帰り」の風習の一種です。塩以外にも、たらいにヌカと塩を入れて足を洗う真似をする、生米を食べるなどの地域もあったようです。
いかがでしたでしょうか。葬列は、かつての日本で当たり前に行われていた風習で、むしろ葬儀の中心的儀式でした。社会の変遷によっていまでこそ見られないようになりましたが、こうした習俗を知っておくことで、現代の葬儀もより奥深く感じられることでしょう。