葬儀・告別式のあと、故人様のお柩は霊柩車に乗せられ、火葬場へ向けて出棺となります。「霊柩車」と聞くと、屋根の付いて金箔などが施された「宮型霊柩車」を思い浮かべる人が多いことでしょう。しかし最近では、高級セダンやステーションワゴンを改造したシンプルな「洋型霊柩車」も増えていますし、地域によっては「バス型霊柩車」なるものもあります。街でよく見かけるけど詳しいことは分からない。そんな霊柩車についてのアレコレをご紹介いたします。
霊柩車とは
霊柩車とは、ご遺体の入った柩を火葬場まで運ぶための自動車のことです。内装、外観ともに車体を大きく改造して、柩を運べる仕様にしています。車体の後部には、棺を納めるためのレールを敷き、ストッパーを装備します。法令上は「特種用途自動車」に区分され、運行業者は一般貨物自動車運送事業(霊きゅう限定)の認可を取得しなければなりません。
霊柩車の種類
「霊柩車」と言っても、実にさまざまな種類があるのをご存じでしたか?
宮型霊柩車
大正時代ころから、自動車の普及に伴って登場したのが宮型霊柩車。戦後からバブル期にかけて霊柩車のスタンダードとして日本中を走りました。
神社やお寺を連想させる建築様式がまるでお宮のようなので、「宮型」と呼ばれています。屋根は二方破風や四方破風。側面には彫刻、金箔、金具、漆塗りなどで、伝統工芸の職人の技術が施されています。
洋型霊柩車
2000年代ころから、宮型に代わって急激に霊柩車のスタンダードとなっていったのが洋型霊柩車です。全体的に黒を基調としたシンプルなフォルムで、見た目にも派手な宮型霊柩車が忌避され出すのに入れ替わり、選ばれるようになりました(理由は後述)。
高級セダン車やステーションワゴンなどを改造して作られ、車体後部の側面には、イギリスの霊柩馬車をイメージさせる幌の折りたたみ金具(ランドウマーク)があしらわれています。車種もさまざまで、センチュリーやクラウンといった国産高級車、キャデラックやメルセデスベンツやボルボといった外国車があります。
バン型霊柩車
バン型とは、ミニバンやステーションワゴンなどを改造して作られた霊柩車のことです。アルファードやエスティマなどの車種が挙げられます。
柩を乗せて火葬場に向けて出棺する「霊柩車」としてだけでなく、病院や自宅、自宅から葬儀場などへご遺体を運ぶいわゆる「寝台車」としても利用されています。
バス型霊柩車
バスを改造して作られた霊柩車というものもあります。主に北海道や東北地方で多く見られます。
霊柩車、マイクロバス、自家用車などと、複数の車が分かれて火葬場に向かうのではなく、故人様、僧侶、遺族や親族が一台に乗って火葬場まで移動できるのがメリットです。特に雪国では複数の車に分乗するよりも、一台に乗り合わせた方がスムーズに移動できることから、寒い地域に普及しています。バス型にもさまざまな種類があり、クラシックなデザインの「ボンネット型」、約20名が同乗できる「マイクロバス」、約40名が同乗できる「中型バス」などがあります。
霊柩車の歴史
かつて、棺は人力で墓地まで運ばれていましたが、時代が下るごとに、大八車、宮型霊柩車、そして今現在多く利用されている洋型霊柩車へと変遷しました。この章では、霊柩車の歴史をご紹介いたします。
野辺送り
かつての葬儀は地域の村単位で行われており、『野辺送り』が一般的に葬送の形態でした。
野辺送りとは、
遺族や親族、地域の人たちで葬列(埋葬のための行列)を作り、村はずれの墓地まで歩き、埋葬する
というものです。棺は輿(こし)に納めた状態で人力で担いで運び、その前後をさまざまな葬具を持って、行列を組んだのです。
棺車
時代が下ると、人が担いでいた柩を大八車に乗せるようになりました。これを『棺車』と呼びます。
棺車にはただ柩を乗せるだけでなく、輿の中に納められます。お祭りの「御神輿」のように、屋根が付き、側面には花鳥などの彫刻が施され、こうした意匠こそが、宮型自動車の装飾の原型とも言えるでしょう。
宮型霊柩車
明治・大正となり都市化が進むと、特に東京や大阪などの都市部では野辺送りをすることで激しい交通渋滞を引き起こしてしまいます。加えて自動車が社会に徐々に普及していったことから、昔ながらの野辺送りではなく、柩を車に乗せて火葬場まで運ぶという発想が生まれました。
当初は、伝統的な野辺送りをしないことに抵抗感を抱く人が多く、霊柩車の聖性を暗示させるために、かつての「輿」を踏襲し、神社や寺院を連想させる屋根や彫刻といった建築意匠がにぎやかに装飾したのだと言われています。
洋型霊柩車
葬儀のアイコンとして見た目にも強いインパクトを残す宮型霊柩車は、戦後社会が都市化していく中で急速に姿を消していきます。
死や葬儀を忌避する人たちからすると、葬儀を一目で連想させる宮型霊柩車は「目に入れたくないもの」であり、また業者側にしても、宮型霊柩車の購入、維持管理に多額のコストがかかることがネックでした。
こうした背景から、高級車やステーションワゴンを改造して作られた洋型霊柩車が生まれます。洋型霊柩車は、2000年代以降の霊柩車のスタンダードとなり、現在に至ります。洋型とそれに準じるバン型は全体の約8割から9割にものぼると言われています。
霊柩車に関する風習
霊柩車に関してはさまざまな風習がありますが、「野辺送り」の時代に遡ってみても同じ風習が行われていたというのは、なんとも興味深い点です。
霊柩車を見たら親指を隠す
街中の道路で霊柩車を見たら「すぐに親指を隠しなさい」と親に言われたものです。「親指を隠さないと親の死に目に会えなくなる」と言いますが、その真偽は定かではありません。親指を隠す風習は古く、野辺送りが行われていた江戸時代にまで遡ってみることができます。かつては葬列に参加していた人たちが、自分の身体の中に悪い霊が入ってこないように親指を隠していたと言われています。
行きと帰りで違う道を走る
葬儀会館から火葬場までの往路と、火葬場から葬儀会館までの復路を異なる道にする風習も、いまでも各地で見られます。
違う道をあえて選ぶことで、故人様がこちらの世界に戻って来ず、きちんとあちらの世に旅立ってもらうように
という意味が込められているようです。
同じような風習で、埋葬地から家に帰る時には絶対に後ろを振り返ってはいけないというしきたりも見られました。故人様との辛い別れをしきたり化することで、少しでも早く死別の悲しみや未練を乗り越え、日常生活を取り戻せるようにという想いが感じられます。
名古屋発!珍しい霊柩車
冠婚葬祭を大事にする名古屋発の、全国的にも珍しい霊柩車をご紹介します。
かつて名古屋市内に存在した「霊柩電車」
大正から昭和初期にかけて、名古屋市には路面電車を活用した「霊柩電車」が存在しました。大正4年に開業した八事斎場。共同墓地と火葬場が併設されたこの場所に、当時の電車の終点から線路を引き込んだのです。霊柩電車は、柩と会葬者を乗せて約500mを走り、自動車が普及しだした昭和35年ごろまで利用されたと言われています。
80年以上形を変えない最高級霊柩車「黒檀車」
黒檀車は宮型自動車の一種ですが、車体後部に乗る輿部分すべてを黒檀の木で作られているのが特徴です。通常の宮型霊柩車は、芯材となる木に漆を塗って金箔や金具をあしらいますが、黒檀車は、世界的に大変希少な木材である「黒檀」を使用しています。世界三大銘木の一つに数えられる黒檀は、大変固く重厚で、その耐久性と木目の美しさから、古来より大変珍重されてきた木材です。日本では仏壇、仏具などの工芸品、海外でもバイオリンなど、高級楽器や家具などに用いられています。
現存する黒檀車の輿は昭和初期に作られたもので、車両を変えながらも、何度もメンテナンスを繰り返しながら長く使用され続けています。見た目こそ派手でないものの、木材の希少性、長く維持する人たちの手間暇は、お金には代えられない価値があります。
全長7mのリムジン霊柩車
名古屋はトヨタ自動車のお膝元。そんなトヨタの最高級車と言えばセンチュリーですが、なんと全長7mにも及ぶリムジン霊柩車が名古屋にあります。車体後部を長くしたことにより、後部座席に最大3名、助手席を含めるとご家族4名の方が、故人様との最期の時間を偲ぶことができます。内装、柩室ともに大変高級感のある仕様になっています。
この記事では、霊柩車について解説して参りました。普段なかなか見る機会のない霊柩車ですが、野辺送りや出棺は故人様の最期の旅立ちです。柩を載せる輿や、大八車、そして霊柩車に人々がこだわってきたのは、それだけ故人様への安寧の念が込められていることを意味します。
西田葬儀社のにしペディアでは、これからもお葬式にまつわるよもやま話をご紹介いたします。霊柩車に関しましてはYouTube動画でも数多くご紹介しておりますので、ご興味のある方はぜひこちらもご覧ください。